雄島

「日本三景」に数えられ、宮城観光の定番である松島ですが、かつては”奥州の高野”と言われる死者供養の霊場でした。
そんな時代の松島を思わせるのが東側に位置する「雄島(おしま)」。

あの松尾芭蕉も『おくの細道』で弟子の曽良と共に、雄島を訪ねていると言われています。

雄島には専用駐車場は存在しませんが、松島観光のついでに来るのではなく、雄島を目的に車で乗り付けるのであれば、45号線沿いにある松島公園第5駐車場が目と鼻の先なので、有料ですが一番近くて便利です。

駐車場裏からは、綺麗に整備されているエリアが広がっていると思ったら この辺りを総称して松島公園となってるのですね。

その中にも違う公園があったりするのですが、取り敢えず雄島を目指します。

砂浜に出ると海の少し向こうに、赤い橋が架かっている大きくは無い島が見えます。 あれが雄島ですね。

階段を登っていくと木の根っこが剥き出しになっていている道を進むのですが、3歳位の小さな子供が走り回っていたので、通りすがりのこっちがヒヤヒヤ。

本土と雄島を繋いでいるのが、この23mの真っ赤な「渡月橋」

近くまで来てみると、なかなか立派な橋です。

かつて修業に訪れていた修行僧が、俗世との縁を切る事から「悪縁を断つ橋」とも呼ばれていました。

橋を渡って雄島に上陸すると 右手の細い道が気になって進んでみたのですが、ここが散策路なのかどうかは、分かりません。

しかし柵も何もなく足を踏み外すと海に転落してしまうので、こちらに進むのは危ないかも。 特に子供連れの人は気を付けて下さい。

すると岸壁を掘って作られた磨涯仏が並んでいます。
当時の修行僧らが海を背に、修行の一環として作り上げた物ですが、この雄島にはこんな磨涯仏が沢山あります。

島の入口から左側は、ちゃんと柵が設けられてあるので、こちらは安全。

もちろん こっちにも磨涯仏が並んでいます。

岸壁を掘って作られた洞窟もあるのですが、長い距離で無いと言え 手作業でこんな洞窟を掘るなんて・・・一体どれほどの時間を費やしたんでしょうか。

洞窟を抜けると少し開けた場所に出るのですが、何ともいえぬ不思議な空間が目の前に広がっていました。

ここは「奥の院」と言われる場所で、雄島を京の都まで広めた高僧・見仏上人が法華教六万部を読通した見仏堂の跡。 この場所で12年間もの修行を続けたそうです。

こんな所に12年とは気の遠くなる年月ですが、島のあちこちに石碑や仏像、石塔が作られているのも納得です。

雄島は決して大きい島では無いですが、分かれ道も多く どこにどう進むべきか考えてしまうかも知れません。

舗装されている道は無く全て 自然の歩道になっています。

妙覚庵跡

見仏上人や、その再来と崇められた頼賢が修行を続けたと言われる草庵の跡地。

島のあちこちに、とにかく多くの石像や石碑が建てらており、どこを歩いても必ず目に入ります。

そして小さな島なので、どこからでも海も見渡せます。

さすがに、日本三景と言われる松島の海は素晴らしい景観。

ルートは木の根っこが伸びている場所も多く 歩きにくい場所や、岩場なんかもあるので雨上がりの日は、滑りやすくなっている為に注意が必要。

潮風を浴びながらの雄島散策は、気持ちが良いです。

22年間も一度も島から出ること無く、法華経を唱えつづけた頼賢という僧を後世に伝える為に、弟子が島の最南端に建立した「頼賢の碑」は、国の重要文化財にも指定されています。

22年もこの狭い島に居たって凄い・・・

真珠稲荷神社

江戸の便船が暴風に巻き込まれた際、過去に助けた白狐に救われたという伝承があり、海難防止の守り神とされ奉られています。

松尾芭蕉がここの道を通ったのでしょうか? 狭い島なので、まぁ通ってると思いますけど、あの芭蕉と同じ道を歩いていると思うと、感慨深い物があります。

松島は観光としても見所の多い場所なので、あちこち回る人も多いと思いますが、この雄島も松島の歴史が詰まった貴重な場所です。

ただ島を歩いてみたいと言う人にも、狭い島ではありますが、アップダウンもそれなりに有り、周囲の美しい景色や沢山の磨涯仏などを見る事が出来るので、適度な運動量で、いつもとは少し違った空間を体感する事が出来ると思います。

 

いにしえの霊場としての松島を最も感じられるのが、この雄島ですね。

郵便番号〒981-0213
住所宮城県宮城郡松島町松島浪打浜24 
入場料無料
営業時間24h 
電話番号 
トイレなし
駐車場なし(周辺に有料駐車場あり)